古事記のなかに国譲りという神話があります。
地上のオオクニヌシに対し天界のアマテラスが地上の国を譲れと迫り、最後にはその要求を認めさせるお話です。
実は、その結末に至る過程にも興味深い話が多くあります。
長野県諏訪湖の冬の名物に御神渡りという現象があります。
これは、オオクニヌシの息子であるタケミナカタという神様が、湖を歩いて渡るから起こる現象とされています。
また、そのタケミナカタは諏訪大社に祀られています。
祀られるようになった謂れは、タケミナカタが国譲りを拒むも最後は諏訪の地で力比べに負けたからというものです。
いかがでしょう?他の逸話についても詳しく知りたくないですか?
本記事は、古事記の国譲りに関する一連の神話について動画を交えて解説します。
5つのパートに分けてますので、知りたいパートだけを読むことも可能です。
最後のパートは、タケミナカタと諏訪大社の関係について解説しています。
よろしければ最後までご一読下さい。
アマテラスがオオクニヌシに国譲りを迫る神話を解説
まずは、アマテラスが地上の国を狙い、最初の使者を地上に送るところからです。
国譲りを企むアマテラスの使者①
葦原の中つ国(地上の国)はオオクニヌシの国作りによって繁栄していた。
あるとき天界のアマテラスは自分の直系がこの国を治めるべきだと考え始めた。
そこでカムムスヒとともにオモイカネらの神々に相談し、アメノオシホミミに地上の様子を探らせた。
天と地の間にある天浮橋(あめのうきはし)まで行ったアメノオシホミミの報告によると、地上はとても無秩序であるとのこと。
そこで秩序よく平定するため、アマテラスはアメノオシホミミを本格的に地上に派遣しようとした。
しかし、アメノオシホミミがこれを強く拒んだため、代わりにアメノホヒを派遣した。
ところが、アメノホヒはオオクニヌシに心服してしまい、派遣されてから3年経っても何の連絡も寄越さなかった。
不審に思ったアマテラスは、今度はアメノワカヒコに弓と矢を授けて地上に送り出した。
そうして地上に降り立ったアメノワカヒコであったが、オオクニヌシに代わって葦原の中つ国を支配することを思いつく。
そして、オオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚し、そのまま生活を始めてしまった。
詳しく解説された動画を以下に挙げます。
国譲りを企むアマテラスの使者②
アメノワカヒコを派遣したものの、8年経過しても音沙汰がない。
業を煮やしたアマテラスは次の手として雉を地上へ使いに出した。
しかし、アメノワカヒコのもとに降り立った雉は矢で射抜かれ、射抜いた矢は高天原にまで届いたのであった。
高天原でこの矢を拾ったタカミムスヒは、「アメノワカヒコに邪心があればこの矢に当たるだろう」と呪文をかけて、矢を地上に投げ返した。
すると、矢が命中してアメノワカヒコは絶命。
アメノワカヒコの葬儀が地上で行われると、高天原からアメノワカヒコの父らも降り立って参列した。
シタテルヒメ(アメノワカヒコの妻)の兄、アヂシキタカヒコも葬儀に訪問。
実は、アヂシキタカヒコはアメノワカヒコにそっくりであった。
そのためアメノワカヒコの親族が、葬儀の場でアヂシキタカヒコの手足にすがりついて泣いた。
しかし、当のアヂシキタカヒコ本人は死者と間違われたことで激怒したのであった。
同様に、以下が詳しく解説された動画です。
国譲りを迫るタケミカヅチノオ
アマテラスは最後の手を打つ。
アメノホヒ、アメノワカヒコ、雉に次ぐ第四の使者として、船の神であるアメノトリフネと共にタケミカヅチノオを派遣した。
葦原の中つ国に降り立ったタケミカヅチノオは、さっそくオオクニヌシと面会。
アマテラスの御子がこの国を治めるので、国を譲るようにと迫る。
息子ふたりと相談したいと、まずは逃げるオオクニヌシ。
息子のうちコトシロヌシはすんなりと国を譲ることに同意する。
しかし、もうひとりの息子タケミナカタは「我が国が欲しいのであれば力比べで勝負しよう」とタケミカヅチノオに挑んだ。
タケミカヅチノオの勝利により国譲りが成る
さて、力比べの勝負の行方は如何に。
タケミカヅチノオに挑んだタケミナカタだったが、軽々とタケミカヅチノオに投げ飛ばされるなど、惨敗。
とてもかなわないと逃げ出す、タケミナカタ。
信濃(長野県)の諏訪湖まで逃げるも追いつめられる。
とうとう降参して葦原の中つ国を明け渡すことになった。
ここから諏訪大社にてタケミナカタが祀られることになる。
また、タケミナカタとタケミカヅチノオのこの闘いは、日本の国技である相撲の起源であるといわれている。
この闘いの結末を知ってオオクニヌシも葦原の中つ国を明け渡すことを誓った。
ただし、明け渡す代わりに自分のために立派な神殿を築いて欲しいと要望した。
この要望に応えてタケミカヅチノオが築いた神殿が、出雲大社と言われている。
タケミナカタの人気と諏訪大社
タケミカヅチノオに負けたとはいえ最後まで抵抗したタケミナカタは、その勇敢さから、軍神として戦国時代の数多くの戦国武将に崇められることとなる。
また、普通の神社は南向きに神殿が造られているにも関わらず、タケミカヅチノオが祀られている鹿島神宮は西向きに造られいる。
この理由はタケミカヅチノオとタケミカヅチノオとの関係性にあるといわれている。
その理由とは、タケミナカタが降参した際に二度と諏訪の地から外に出ないとした約束をタケミカヅチノオが見張っているからだそうだ。
詳しくは以下の動画をご覧ください。
まとめ
- アマテラスが地上の国を治めんと、最後の刺客タケミカヅチノオをオオクニヌシの元に派遣した。
- タケミカヅチノオの要求にタケミナカタは最後まで抵抗するも力尽きる。
- その勇敢さから、タケミナカタは戦国期の武将に崇められるなど、人気を博す。
今の日本にも伝わる伝統や風習、風物詩に神話の謂れがあり、とても興味深いと感じる。
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