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絶対王政

これまで王や貴族、ローマ教皇といったプレイヤー間を行きつ戻りつした政治権力が、再び王の元に戻ることとなる。かつてない強力な権力として。その背景にある動きとは?

おすすめシーン

笑顔度グラフ-絶対王政
笑顔度グラフ-絶対王政

シーン① 絶対王政確立へ向かうイギリス

ヘンリー8世がイギリス国教会を創立したが、次に即位した女王メアリー1世はカトリックを信奉しイギリス国教会を弾圧する。

しかし、メアリー1世の次に即位したエリザベス1世は再度イギリス国教会に戻し、それ以外の宗派を認めない政策を採った。そこで、ピューリタンが信教の自由を求めてアメリカへ国外逃亡することとなった。

以上のように国内外において政治的対立が多く争いの絶えない状態が続いたため、次第に強い王権が求められる土壌が出来てきた。

そのような状況下、イギリスはエリザベス1世在位中にスペインと対立状態になるもののスペインの無敵艦隊を破るという象徴的な勝利を収め、その後のイギリスの時代の幕開けを迎える。

シーン②

フランスにおいてもイギリスと同様に王権が強力になった。最も強力になったのが「朕は国家なり」の言葉で有名なルイ14世在位中である。しかし、彼は幼くして即位し、当初は宰相が政治を取り仕切っており、その手腕により国内貴族やハプスブルグ家の勢力抑制が図られていた。

シーン③

また、ビザンツ帝国滅亡後、そのギリシャ正教をロシア正教として受け継ぐ新興国家ロシアも強力な王政をピョートル1世が確立する。

ピョートル1世は即位前にアムステルダムへ留学し、船大工として働きながら西欧の文化を学んでいた。

王権から市民権へ 革命の時代

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笑顔度グラフ-革命時代
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シーン① アメリカ独立戦争

信教の自由を求めてアメリカにやってきたピューリタンたち(ピルグリム・ファーザーズ)が苦労して最初の植民地13州を設立するが、その後フランスとイギリスとで領土を奪い合い戦争となる。

戦争はイギリスの勝利に終わるが、戦時中に増税された税金が戦後も据え置かれ、それに不満を抱いた植民地の人々はボストン茶会事件を引き起こし、独立戦争開戦へとつながる。

イギリス本国の正規軍に対し植民地側は義勇兵で戦うが、イギリスの弱体化を狙ったフランスの支援により植民地側が勝利し、独立を勝ち取る。

シーン② フランス革命 前半

財政難を立て直すため平民に重税を課そうとした国王に対し、平民代表たちは異議を唱えるが議場を閉め出される。そこで平民代表たちはテニスコートに集い、憲法が制定されるまでいかなる場所でも議会を開くことを誓った。(俺たちの議場はココだ!)

国内が不穏な状態に陥るなか、国王ルイ16世は妻のマリーアントワネットとともに妻の母国への逃亡を図るが捕縛される。(ヴァレンヌ逃亡事件)これを機に国王への不信感が一気に高まる。

シーン③ フランス革命 後半

フランスにおける王権打倒の動きを警戒した周辺国が武力介入を試みるがフランス義勇兵がこれを阻止し、とうとうルイ16世は絞首刑に処せられることとなる。実はこのとき用いられたギロチンはかつてルイ16世自らが改良させたギロチンであったという、歴史の皮肉がここで発生する。

革命指導者により恐怖政治が行われるなど混乱した状況のなかナポレオンが登場し、ナポレオンに率いられたフランスは一時、ヨーロッパの大半を支配下に置くこととなる。

帝国主義

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笑顔度グラフ-帝国主義
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シーン① 鉄血宰相ビスマルクによるドイツ統一

ドイツ国内はハプスブルグ家の影響大きいオーストリアと勢力伸長の著しい新興国プロイセンのそれぞれを盟主とする二つの派に分かれていた。

ビスマルクが率いるプロイセンはオーストリアと戦争を始めこれに勝利し、その後ナポレオン3世が率いるフランスとの戦争にも勝利して、ドイツ国内からフランスの影響を排しドイツ帝国としてドイツを統一する。

シーン② イタリアの英雄ガリバルディ

イタリア北部をサルデーニャ王国が、南部をガリバルディ率いる赤シャツ隊がまとめ、両者衝突かと思われたところ、イタリア統一を優先するためガリバルディが占領地をサルデーニャに献上し、統一イタリア王国が成立した。

笑顔度データ

本記事で示した笑顔度のデータは、私が上記の動画を見たときの自分の表情を特別なカメラで撮影し、笑顔度の推移を記録したものです。つまり、私がどれだけ楽しんだかをデータで示し、それをみなさんの参考にしてもらおうというものです。

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