日本史で”鎌倉仏教”という言葉が出てきたのを覚えていますか?
鎌倉仏教ってなんだろう?
わざわざ”鎌倉”を付けて呼んだりするのは、なぜだろう?
このページにたどり着いた人の多くの人はそんな疑問を持っているのではないでしょうか。
せっかくここにたどり着いたのですから、はっきりさせましょう。
ところで、皆さんは座禅で有名な”禅”を知っていますよね。
実は、禅は鎌倉仏教のひとつで、仏教に属します。
ふだんは仏教のことなんて考えたことのないあなた。
あなたでも、この記事を読めば「仏教と権力との関係」なんてことについても、今日から友達にうんちくを紹介できたりします。
鎌倉仏教について解説された動画を紹介
ここでは鎌倉仏教について解説された二つの動画を紹介しています。
それぞれ動画の前にその概要を示しました。
それを読んでから観た方が内容を理解しやすいのではないかと思います。
鎌倉仏教の特徴
鎌倉仏教に共通する特徴として、まず一つはおおむね庶民を対象にしていることが挙げられる。
二つ目の特徴として、仏教伝来からおよそ800年を経てようやく仏教が日本にローカライズした(日本化した)したことが挙げられる。
どのように日本化したのかというと、もともとあった神道の考えが融合してきたのです。
従来の仏教の教えでは「あらゆる生き物は仏になる資質をもっている」とされていた。
しかし、「草木やあるいは国土のような生き物でないものでさえ仏になる資質をもっている」と解釈が変わった。
神道における「八百万(やおよろず)の神」の考えに近づいたということです。
詳しい解説を以下の動画で観てみましょう。11分ほどの動画です。
鎌倉仏教の各宗派(禅宗と、浄土宗系や日蓮との違い)
禅宗を中心に鎌倉仏教が解説された中田敦彦YouTube大学の動画があります。
ここではその動画を紹介しましょう。
まずは動画の要点だけを触れておきます。
禅宗は、鎌倉時代に中国で学んだ栄西や道元が日本に持ち帰ったもの。
具体的には、栄西は中国へ仏教の学び直しに行きそこで臨済宗(禅のひとつ)に出会い、日本に持ち帰った。
栄西は権力者に気に入られ、そこから臨済宗は普及した。
臨済宗は自問自答を重視すること。
一方、もともと貴族の息子であった道元も中国に留学し、彼は同じく禅のひとつである曹洞宗を日本に持ち帰った。
曹洞宗は座禅を重視する。
栄西と異なり、道元は権力者と距離を置いて普及活動を行った。
後に他の鎌倉仏教との対比として繰り返して述べるが、これら禅宗の教えは無神論的なので幕府を始め権力者にも認められ、武士たちの間に普及した。
浄土宗系と日蓮宗の特徴などは下表の通り。
宗派 | 開祖 | 特徴 |
浄土宗 | 法然 | 南無阿弥陀仏を唱えなさい |
浄土真宗 | 親鸞 | 阿弥陀如来を信じなさい |
時宗 | 一遍 | 踊念仏 |
宗派 | 開祖 | 特徴 |
日蓮宗 | 日蓮 | 南無阿弥陀仏を唱えなさい |
浄土宗系と日蓮宗の共通点は、信じるべき唯一のものを提示して世俗の権力と対立しやすいこと。
一方は阿弥陀如来だけを信じればよい、もう一方は日蓮および日蓮の経典だけが正しいとしている。
双方ともそれぞに信じるべき唯一のものを提示しているので、両者の間は互いに相容れない。
それに対し、上記でも述べたように禅宗は権力者に受け入れやすかった。
それでは下記に示した中田敦彦Youtube大学の動画を観て頂きましょう。
あっちゃんがわかりやすく解説してくれています。
鎌倉仏教に関する箇所は、全編25分のうち前半7割くらいです。
まとめ
- 仏教伝来から長い時を経て鎌倉時代になり、仏教の日本化(国風化)が起きた。
- 一般庶民に普及したがその教えの特徴のために、浄土宗や日蓮宗は時の権力者と対立する傾向にあった。
- 無神論的な特徴をもつため、同じく鎌倉時代に普及した禅宗は幕府など権力者や武士に受け入れられた。
非知識人へ普及させるために、浄土宗系や日蓮宗は、信じるべき具体的かつ唯一のものをわかりやすく提示したのだが、それゆえ世俗の権力と対立しやすかったということは、とても興味深い。
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