それなりに歴史に詳しい人でも飛鳥時代ってどんな時代なのかって案外知らないですよね。
でも、歴史通として差を付けたいなら、みんなが良く知っている戦国時代や幕末だけではなく、この時代のことも知っておきたいところ。中田敦彦のYouTube大学日本史シリーズであっちゃんも「日本の歴史は古代が面白い」と言っていました。
まずは飛鳥時代に権勢を振るった蘇我氏と物部氏という二つの氏族について知識を深めましょう。この時代の中心的役割を担った氏族なので、ここを押さえればこの時代の大きな流れを把握できます。
そして、この時代の他の事柄についても理解を深めやすくなります。
ここでは両氏族についてわかりやすく学べる短い動画を3つ紹介しますので、これらを観て学んでいきましょう。
飛鳥時代に権勢を振るった蘇我氏、物部氏について解説された動画を紹介
蘇我氏について
まずは動画内容をかいつまんで書きます。さらっと読んでもらってから観た方がわかりやすいかも。
武内宿禰(たけのうちのすくね)を元祖とする豪族のひとつで、次第に朝廷の財政運営を担うようになり有力豪族へ成長した。
一族繁栄の基礎を築いたのは欽明天皇時代の蘇我稲目であり、蘇我稲目は百済から伝わった仏教の布教に熱心で布教反対派の有力豪族である物部・中臣氏と対立するが、欽明天皇に娘を嫁がせることで皇室との距離を縮めた。
蘇我稲目の息子である馬子は布教活動を引き継ぎここでも物部氏と対立するが、皇位継承を左右するポジションを取って物部氏を圧倒し、天皇を殺害することができるまでの権力を握る。その後、自ら推薦して推古天皇を即位させ、切傷の厩戸皇子とともに政治を執った。
その後、一族に内紛が発生するも権力は代々、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)と受け継がれたが、645年の乙巳(いっし)の変にて入鹿が中大兄皇子達によって殺害され、蝦夷が自殺することによって蘇我氏宗家は滅びた。
以上のような内容です。かなり端折ってますが。
では、観てみましょう。15分ほどの動画です。
物部氏について
こちらでも最初に動画内容をかいつまんで書きます。
物部氏の始まりはニギハヤヒという河内国に降臨した神様と言われており、一族は朝廷に仕えるなかで軍事と祭祀を司るようになった。
欽明天皇の時代に活躍した物部尾輿(ものべのおこし)は、蘇我稲目と仏教の布教に関して対立するなど蘇我氏と権力を争った。尾輿の跡を継いだ守屋も蘇我氏と対立し、丁未(ていび)の乱にて蘇我氏を迎え撃つこととなる。物部氏が朝廷の軍事を担当していたこともあって蘇我軍を三度も退けたが、最終的には蘇我軍が勝利した。
生き残った物部氏の一部は改名して石上(いそのかみ)氏となり、朝廷内にて出世するものも居た。例えば、時代は下って奈良時代の石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)は大納言正二位にまで出世し、「経国集」という漢詩集に作品が収められたり、日本発の公開図書館である芸亭(うんてい)を設置するなど活躍した。
以上のような内容です。では、動画を観てみましょう。こちらは18分です。
まとめ
・飛鳥時代には蘇我氏と物部氏という有力な二つの豪族がいた。
・両氏族は互いに権力を争っており、特に欽明天皇時代以降、仏教の普及に関して蘇我氏が賛成派、物部氏が反対派と分かれていた。
・蘇我氏が両氏族間の争いに勝利し一時は皇位継承を左右する権力を握るが、蘇我入鹿が中大兄皇子達によって殺害され、蝦夷が自殺することによって蘇我氏宗家は滅んだ。
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