儒教というと、中国か韓国の宗教のひとつ?
そんな印象を持っていませんか?
私はそんな印象を持っていました。
でも、それは漠然とした印象で全く根拠はありません。
なので、いつかはっきりとさせたいと思っていました。
ところで、儒教は宗教ではないんです。
また、「大塩平八郎の乱」で有名な大塩平八郎は儒学者(儒教に関わる学者)だったんです。
えっ!そうなの?と思いました?
そう感じたあなたは、もうすこし儒教について詳しく知りたくなっているはずです。
そこで本記事では全くの素人でもわかるように儒教について解説します。
たった5分で解説してくれる動画がありましたので、まずはそれを紹介しながら。
儒教に関する解説動画を紹介します
5分で理解。儒教は宗教ではない。
見出しの通り、5分で解説してくれます。動画の概要は次の通りです。
キリスト教やイスラム教、仏教などと違い、儒教は宗教ではなく「教え」である。
儒教に神様はいない。
創始者は孔子、中国が混乱していた時代に作られた。
ただし、混乱期には普及せず、統一王朝ができたのちに平時の秩序を保つために採用された。
上下関係を大事にすべきというのが主な教えである。
日本では江戸幕府が重用した。
赤穂浪士の討ち入りがもてはやされたのは、当時、儒教の考えが普及していたから。
冒頭、全く違う話題になっててびっくりしますが、30秒後、本題に入ります。
江戸時代の中心思想であった儒教のひとつ、朱子学を少し詳しく学ぼう
江戸時代に教えられていたのは、儒教のうちの朱子学というものでした。
これについてわかりやすく解説している動画があります。
時間は9分ほど。内容を抜粋すると次のようなものです。
朱子学は、儒学のひとつで大義名分論や礼節を重視した学問体系であり、同じく儒学のひとつで後ほど説明する陽明学と異なり、権威に従うことや秩序を重んじた。
少し深入りすると、居敬窮理(欲望を抑えて理性に従う)ことを実践し知の極致に至ることを目指している。
次に、朱子学の普及に貢献した主な人物とその功績を年代が下る順に挙げる。
朱子学が少しずつ幕府の中枢に浸透していったことがわかる。
人物 | 功績 |
藤原惺窩 | 徳川家康に朱子学を教えた。しかし、仕官はしなかった。 |
林羅山 | 藤原惺窩の弟子。 家康、秀忠、家光、家綱と4代の将軍に仕える。 上下定分の理(自然界に天と地があるように、 人間界にも上下の身分制度があってしかるべきという考え) を打ち出す。 |
新井白石 | 6代将軍家宣、7代将軍家継の家庭教師を務める。 幕府の実権を握り政治改革を実行した(正徳の治)。 |
以上はかなり抜粋してます。ちゃんと知りたい方は次の動画を是非、観て下さい。
朱子学を批判した陽明学とは
同じ儒教でも、朱子学を批判する学問体系が陽明学です。
陽明学を知れば、反対の朱子学ももっとわかるでしょう。
では、次に陽明学について学んでみましょう。
陽明学は、朱子学の知識偏重を批判し、実践・実行を重視した学問体系。
性善説に基づき素晴らしい知識や素晴らしい能力を発揮することに重点を置いた。
権威に従い、秩序を重んじる朱子学は統治者に好まれた。
他方、陽明学は権威に盲従するのではなく自分の責任で行動する心の自由を唱えた。
なんとなく現代の思想に近い感じがしますね。
陽明学に貢献した主な人物とその功績を挙げる。
人物 | 功績 |
中江藤樹 | 日本陽明学の祖。はじめは朱子学の立場であったが、 のちに陽明学に転身。 時・処・位(現代で言うところのTPO)に応じた実践を説いた。 |
大塩平八郎 | もとは大坂町奉行の与力。 洗心洞という私塾を開設。 天保の飢饉に際して民衆とともに蜂起した(大塩平八郎の乱)。 |
以上は内容の抜粋ですが、解説動画はこちら。5分です。
まとめ
- 儒教は宗教ではなく「教え」である。したがって、儒教に神様はいない。
- 日本では、江戸幕府が身分制度などの秩序維持のために採用し、普及させた。
- 儒教には朱子学と陽明学があり、江戸幕府が重用したのは朱子学。
陽明学は、自分の責任で行動する心の自由を唱えるなど、現代の思想に近しいところがあると感じた。
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